ブラッサム葉野清治(渡部篤郎)のモデルは?宇野千代の父・俊次と葉野酒造

ブラッサム葉野清治(渡部篤郎)のモデルは?宇野千代の父・俊次と葉野酒造

『ブラッサム』で渡部篤郎さんが演じる父・葉野清治。働かずに馬を走らせ、家族を恐怖で縛る姿が、放送のたびに話題になっています。

「清治にも実在のモデルがいるのでは」「宇野千代の父親は、本当にこんな人だったの」。

「葉野家が営む葉野酒造は、岩国に実在する酒蔵なの」。こういった疑問を持っている方も多いのではないでしょうか。

この記事では、公式ドラマガイド、宇野千代の自伝『生きて行く私』、『ブラッサム』の時代・風俗考証を担当した刑部芳則さんの評伝をもとに、清治のモデルを整理します。

そのうえで、葉野酒造については「史実で確認できること」と「公式に発表されていないこと」を分けて書きます。

※第4週(2026年10月24日放送分)までの内容に触れます。

目次

葉野清治のモデルは宇野千代の父・俊次と思われます

葉野清治のモデルは宇野千代の父・俊次と思われます

結論から書きます。葉野清治のモデルは、宇野千代の実父である宇野俊次だと思われます。

ただし、公式ドラマガイドに「清治のモデルは俊次」と明記された箇所はありません。あくまで史実と照らし合わせて読み取れる、という段階です。

『ブラッサム』は、主人公・葉野珠のモデルが作家の宇野千代であることを公式に明記しています。

珠が明治30(1897)年に岩国で生まれ、幼くして実母と死別し、父と継母に育てられるという設定も、千代の経歴と重なります。

その珠の父として描かれているのが清治です。つまり、清治の立ち位置は千代の父・俊次の位置にあたります。

主人公のモデルがはっきりしているぶん、その父親についても史実をたどれる、というのがこの記事の出発点です。

珠と宇野千代の関係そのものについては、こちらの記事でくわしく書いています。

朝ドラ『ブラッサム』の実在モデルは作家・宇野千代|98年の生涯と3度の結婚、ドラマとの共通点

千代の父の名は「俊次」。気性が激しく厳格だったと記録されています

宇野千代の父の実名は宇野俊次です。千代は明治30(1897)年11月28日、山口県玖珂郡横山村(現在の岩国市川西)で、俊次とトモの長女として生まれました。

公式ドラマガイドの年表には、この俊次について「気性が激しく厳格」という書き方がされています。

そして、その性格が千代に与えた影響は生涯にわたったとされています。父親との関係が、千代という作家の芯に残り続けたということです。

生母トモは明治32(1899)年、肺結核で亡くなりました。千代は満1歳7か月でした。

ドラマの珠は「2歳で死別」という設定です。

その後、俊次は佐伯リュウと再婚しました。リュウは当時17歳。

千代は、この若い継母に育てられることになります。

俊次とリュウは、のちに薫・鴻・勝子・光雄・文雄の四男一女をもうけています。千代はその上に立つ長女でした。

ドラマで珠が弟2人と妹1人の姉として描かれているのも、この家族構成を下敷きにしていると考えられます。

(参照:PRESIDENT WOMAN Online「宇野千代『生きて行く私』抜粋」/東洋経済オンライン「宇野千代が述懐する父親」/NHK出版『連続テレビ小説 ブラッサム Part1』)

清治と俊次が重なる3つの点

「清治=俊次と思われます」と書く根拠は、大きく3つあります。順番に見ていきます。

ひとつめは、家族のなかでの位置と暮らし方です。幼くして亡くなる実母、若い継母という組み合わせが、ドラマの清治・リョウの夫婦に置き換えられています。

造り酒屋の家に生まれながら家業を継がず、本家の金で暮らす点も同じです。

ふたつめは、性格と逸話です。資料に残る「気性が激しく厳格」という人物像と、ドラマの清治の振る舞いが同じ方向を向いています。

俊次は馬を何頭も飼って競馬に出し、博打にも熱中したと伝えられています。小鳥を好み、料理屋「半月庵」の常連でもありました。

馬を走らせ、カナリアをかわいがる清治の姿は、この記録と重なります。

第1週では、珠が作文の題に「私の父」を選び、父が「放蕩無頼」と呼ばれていることを書いてしまいます。

その場で清治が怒るのではなく、級友の拍手を受けて大笑いする。この一場面に、清治という人物の作り方が凝縮されています。

みっつめは、最期です。史実でもドラマでも、父は大正2(1913)年、娘が女学校に在学中に亡くなります。

雪の日に刃物を持って外へ飛び出す場面も共通しています。くわしくは後の見出しで書きます。

この3点がそろうため、清治は俊次を下敷きにした人物だと読み取れます。ただし公式の明言がないので、断定はできません。

(参照:草の実堂「宇野千代が語った暴君の父の壮絶な最期」)

『ブラッサム』の登場人物のうち、どこまでが公式に明記されたモデルなのかは、こちらの一覧記事で整理しています。

ブラッサムの実在モデル一覧!西尾一路は尾崎士郎・土橋風子は吉屋信子

1911年「父の命による嫁入り」が父の影響力を示しています

1911年「父の命による嫁入り」が父の影響力を示しています

千代の父がどれだけ強い存在だったかは、1911年のできごとにはっきり出ています。女学校2年生の千代は、父の決定で結婚しました。

これは「厳格な父だった」という抽象的な話ではなく、娘の人生を実際に動かした記録です。

ドラマの清治も珠の縁談を決めてしまい、家の中を見張るように振る舞います。その設定の裏側には、この史実があると考えられます。

美術面でも、葉野家のセットは清治が家族を見張れる間取りとして設計されたことが公式ドラマガイドに書かれています。

千代の記憶でも、俊次は家の内外を見渡せる「時計の間」にいつも座っていたとされます。父の支配は、史実でもドラマでも家の間取りと結びついています。

14歳で従兄のもとへ嫁ぎ、10日ほどで戻っています

明治44(1911)年11月、14歳の千代は父の決定によって嫁入りしました。相手は従兄で17歳の藤村亮一です。

14歳は評伝の表記で、誕生日前なら満13歳にあたります。

縁談は亮一の母(千代の生母トモの姉)が申し入れたもので、俊次がすぐに承諾しました。

当時の俊次は病床にありました。のちに家族の間では「余命を悟り、娘の嫁ぎ先を決めておきたかったのでは」という見方も出たと、千代は自伝に書いています。

本心は分かっていません。

この結婚は10日ほどで終わります。千代は学校帰りに婚家へ戻らず、実家へ帰りました。

評伝によれば、父の看病を口実に実家へとどまったとされます。父も、婚家へ帰れとは言いませんでした。

のちに千代は、亮一の弟である藤村忠と京都で暮らし、1919年に結婚します。藤村家との縁は、この14歳の嫁入りから続いていました。

千代の結婚回数が資料によって3回とも4回とも書かれるのは、この14歳の結婚を数えるかどうかで分かれるためです。

(参照:PRESIDENT WOMAN Online「宇野千代は14歳の離婚の詳細は秘密にした」/PRESIDENT WOMAN Online「宇野千代は14歳で3歳上のいとこと結婚」/刑部芳則『宇野千代 昭和モダニズムの伝道者』NHK出版新書)

ドラマの縁談は、史実の形を残して名前と時期を変えています

ドラマの珠にも縁談が来ます。名前と時期は変えられていますが、話の形は史実に近いものです。

ここは見比べると面白いところです。

珠の縁談を持ちかけるのは叔母の木村照子で、相手は木村家の長男・享一です。清治が話を決め、珠は嫁入りしたものの、3日もたたずに飛び出します。

史実の相手は従兄の藤村亮一、ドラマの相手は従兄の木村享一。ただし史実の千代は1911年に嫁いでいるのに対し、ドラマの第2週は大正2(1913)年が舞台です。

史実で縁談を申し入れたのは生母の「姉」で、ドラマの照子は実母の「妹」という違いもあります。

つまり『ブラッサム』は、名前は変えても関係の形は史実に沿って残しているということです。

リュウがリョウに、亮一が享一に。一文字だけずらす作り方は、ほかの登場人物でも見られます。

清治と俊次を重ねて読める理由も、ここにあります。

(参照:秋田魁新報(ORICON NEWS配信)「『ブラッサム』第2週 ある日突然、清治が珠の縁談を決めてくる」)

父・俊次が亡くなったのは1913年2月8日、57歳のとき

父・俊次が亡くなったのは1913年2月8日、57歳のとき

千代の父・俊次は、大正2(1913)年2月8日に57歳で亡くなりました。千代は女学校3年に在学中で、満15歳でした。

公式ドラマガイドの年表には「1913年・16歳・父が逝去」と記されています。年の数え方によって、15歳とも16歳とも書かれるということです。

注目したいのは、このころ千代が文学へ踏み出していることです。

千代は女学校時代から作文や回覧雑誌で文章を書き、変名で『女子文壇』などへの投稿も始めていました。

父の死に涙を流しながらも、千代は「私はもうどんなことでもできる」と感じたと書き残しています。悲しみと解放感が同時にあったということです。

父の死後、本家の酒造からの送金は止まりました。継母のリュウは糸とり工場で働き、のちに貸家も始めています。

解放は、そのまま生活の苦労にもつながりました。

(参照:PRESIDENT Online「宇野千代の真実」/PRESIDENT WOMAN Online「宇野千代は14歳の離婚の詳細は秘密にした」)

ドラマでは第2週で清治が亡くなります

ドラマの時間軸も、史実に近い形で進みました。清治が亡くなるのは第2週「父からの、解放」(2026年10月5日〜9日放送)です。

第2週の舞台は大正2年で、俊次が亡くなった年と同じです。雪の中で刃物を手に飛び出すという最期も、千代の記録にある父の姿と重なります。

そして第3週で、珠は尋常小学校の代用教員として働き始めます。

史実の千代も、1914年3月に女学校を卒業し、翌4月に川下尋常高等小学校の代用教員になりました。

父の死 → 代用教員という流れは、史実とドラマでそろっています。ここまでそろうと、清治が俊次を下敷きにした人物だという読み方は、かなり自然になります。

(参照:Japaaan「『ブラッサム』第2週あらすじ」/「朝ドラ『ブラッサム』全話あらすじ一覧」/Real Sound「『ブラッサム』第3週レビュー」)

千代の父が通った料亭は、いまも岩国にあります

俊次について、もうひとつ記録に残っていることがあります。岩国の「半月庵」をよく利用していた、という点です。

半月庵は1869(明治2)年に茶室として生まれ、現在は料亭・旅館になっています。所在地は岩国市岩国1-17-27です。

ここは千代の小説『おはん』『風の音』の舞台にもなった場所として、公式ドラマガイドの岩国ガイドで紹介されています。

父が通った店が、娘の小説の舞台になった。清治が料理屋で騒ぐ場面を思い出すと、この一行の重さが変わってきます。

(参照:おいでませ山口へ「宇野千代ゆかりの料亭『半月庵』」/NHK出版『連続テレビ小説 ブラッサム Part1』NHKドラマ・ガイド)

清治というキャラクターの作り方|えんじ色と乗馬シーン

清治というキャラクターの作り方|えんじ色と乗馬シーン

清治はモデルの話だけで終わる人物ではありません。衣装の色から登場の仕方まで、作り込みが細かいキャラクターです。

公式ドラマガイドの美術特集には、清治に関する2つの仕掛けが載っています。

ひとつは色の設計、もうひとつは渡部篤郎さんの初登場シーンです。どちらも、知ってから観ると見え方が変わります。

ここは「モデルは誰か」とは別の、ドラマそのものを楽しむための情報としてまとめます。

清治のキーカラーは「えんじ色」。珠の装いにも使われています

公式ドラマガイドの美術特集によると、父・清治のキーカラーはえんじ色に設定されています。

そして、このえんじ色は清治本人だけでなく、珠の装いにもポイントで使われるとされています。

つまり珠は、父から離れて東京へ出たあとも、父の色を身につけて画面に立っているということです。

衣装で血のつながりを見せる手法で、セリフでは説明されません。気づいた人だけが分かる作り込みです。

『ブラッサム』の美術全体のコンセプトは「生々流転」、キーワードは「ゆがみ」だと公式ドラマガイドに書かれています。

庭の桜の樹形も、葉野家の間取りも、珠の髪形も、この「ゆがみ」で統一されています。清治のえんじ色も、その設計の一部です。

初登場の乗馬はリハーサルなしで一発OK。渡部篤郎は約20年ぶりの乗馬

清治の初登場は、商店街で馬を派手に走らせる場面です。働かない男が馬にだけ金をかけている、という人物像が一瞬で伝わります。

この乗馬シーンについて、公式ドラマガイドにはリハーサルなしで本番一発OKだったと記されています。

しかも渡部篤郎さんが馬に乗るのは、約20年ぶりだったそうです。

渡部篤郎さんは1968年生まれ、東京都出身。清治という難しい役を、最初の数十秒で成立させたことになります。

第1週をもう一度観る機会があれば、この場面に注目してみてください。

見逃した回をどこで観られるかは、こちらの記事にまとめています。

ブラッサムの見逃し配信はどこ?NHKプラス・オンデマンド・U-NEXT比較

葉野酒造のモデルは?俊次の実家の造り酒屋と思われます

葉野酒造のモデルは?俊次の実家の造り酒屋と思われます

ここからは2つめの柱、葉野酒造の話です。結論を先に書きます。

葉野酒造のモデルは、宇野俊次の実家である高森(現・岩国市)の造り酒屋だと思われます。

ただし、NHKや公式ドラマガイドがモデルと明言しているわけではありません。史実との一致から読み取れる、という段階です。

2026年10月28日に、NHKの番組情報・岩国市および山口県の観光公式情報を確認しましたが、モデルを示す発表は見つかりませんでした。新しい発表があれば追記します。

ドラマの設定:清重が本家を継ぎ、清治は毎月金を受け取る

まず、ドラマの中の設定を整理します。

葉野家は岩国有数の造り酒屋です。清治はその長男ですが、働いていません。

本家を継いだのは、弟の葉野清重(三浦誠己さん)です。清重は足が不自由で、葉野酒造を切り盛りしています。

清治は家督を弟に譲った見返りとして、本家から毎月金を受け取る暮らしをしています。これが「働かない父」の経済的な裏づけです。

第4週では、珠が本家の葉野酒造で雑用係として働く展開になりました。酒蔵は物語の場としても使われています。

(参照:オリコンニュース「『ブラッサム』葉野清重役に三浦誠己【キャラクター紹介】」2026年10月2日配信/秋田魁新報(ORICON NEWS配信)「『ブラッサム』第1週」)

史実の宇野家も造り酒屋。足の不自由な当主まで重なります

では、史実の宇野家はどうだったのでしょうか。千代は自伝『生きて行く私』で、父の生家を「父祖代々の造り酒屋」と書いています。

軒には「宇野酒蔵」の看板がかかり、部屋数は32。近在に名の知られた資産家だったと記されています。

注目すべきは、店を仕切っていた人物です。自伝によれば、俊次の兄は生まれつき足が不自由で、店の奥から采配を振るっていました。

ドラマの清重の設定と、そのまま重なります。ここが、葉野酒造を宇野家の酒蔵と結びつける最大の根拠です。

お金の流れも同じです。俊次は次男で分家の養子となり、兄の政介からの仕送りで放蕩生活を送っていました。

この送金は、俊次の死と同時に止まっています。

一方、違いもあります。史実の俊次は次男で、継いだのは兄です。

ドラマでは清治が長男で、継いだのは弟に変えられています。

なお、千代が育った川西の家は酒蔵ではありません。俊次が40歳を過ぎてから買い取った古い庄屋の家です。

この家は明治期の建物で、国の登録有形文化財「旧宇野千代家住宅主屋」として公開されています。「宇野千代生家」を訪ねても酒蔵を見られるわけではないので、ご注意ください。

(参照:PRESIDENT WOMAN Online「宇野千代『生きて行く私』抜粋」/東洋経済オンライン「宇野千代が述懐する父親」/おいでませ山口へ「宇野千代生家」)

父をめぐるドラマと史実の違いを表で整理

ここまでの内容を、ドラマと史実で並べて整理します。名前は変わっていても、起きたことの順番はよく似ています。

表の「史実」は、千代の自伝、公式ドラマガイドの年表、考証担当・刑部芳則さんの評伝を紹介した記事などから整理しました。

項目ドラマ『ブラッサム』史実(宇野千代)
父の名葉野清治(渡部篤郎)宇野俊次
父の立場本家の長男本家の次男・分家の養子
酒蔵を継いだ人弟・清重(足が不自由)兄・政介(足が不自由)
父の収入本家から毎月給金本家(兄)からの仕送り
実母珠が2歳で死別トモ・1899年に肺結核で死去
継母葉野リョウ(国仲涼子)佐伯リュウ・17歳で嫁ぐ
最初の結婚木村家の長男・享一(1913年・3日たたず戻る)従兄・藤村亮一(1911年・10日ほどで戻る)
父の死第2週・大正2(1913)年1913年2月8日、57歳
家業葉野酒造(岩国有数の造り酒屋)高森の造り酒屋(父の実家)

この表で分かるのは、名前と兄弟の順番は作り替えられている一方で、父の死の年や家の構造は史実に沿っているということです。

「長男が家を出て、足の不自由な弟が継ぐ」というドラマの設定は、史実の兄弟の順番を入れ替えて作られたと考えられます。※推定です

まいこの視点

清治は初回からインパクトが強く、正直なところ、第一印象は「朝ドラによく登場する残念な父親」でした。

でも、家父長制の時代に長男でありながら酒屋を継がず、仕事もしない姿は、自由なようでいて、どこか苦しそうにも見えました。

清治の人生は深く描かれませんでしたが、どんな道を歩んできた人なのか、興味がわきました。

あの強烈な生き様は、良くも悪くも、珠の生き方や書くことに大きな影響を与えていると感じています。

まとめ

葉野清治のモデルは、宇野千代の父・宇野俊次と思われます。公式の明言はありませんが、家族構成・逸話・亡くなる年がそろって重なります。

葉野酒造のモデルは、俊次の実家である高森の造り酒屋と思われます。こちらも公式発表は確認できていません。

要点をもう一度まとめます。

  • 千代の父の実名は宇野俊次。「気性が激しく厳格」と記録されている
  • 1911年、千代は父の決定で従兄に嫁ぎ、10日ほどで戻った
  • 1913年2月8日、俊次が57歳で死去。ドラマの清治も第2週で亡くなる
  • 清治のキーカラーはえんじ色で、珠の装いにも使われる
  • 初登場の乗馬はリハーサルなしで一発OK。渡部篤郎は約20年ぶりの乗馬
  • 俊次の実家は造り酒屋で、足の不自由な兄が店を仕切っていた
  • 葉野酒造のモデルについて、公式の発表は確認できていない

よくある質問(FAQ)

葉野清治に実在のモデルはいますか?

宇野千代の父・宇野俊次がモデルと思われます。ただし公式ドラマガイドに「清治のモデルは俊次」という明記はなく、史実との重なりから読み取れる段階です。

宇野千代の父はどんな人でしたか?

造り酒屋の次男に生まれ、定職に就かず、本家からの仕送りで馬や博打に熱中した人物です。公式ドラマガイドの年表には「気性が激しく厳格」と記されています。

宇野千代の父はいつ亡くなりましたか?

大正2(1913)年2月8日に57歳で亡くなりました。千代は満15歳で、公式ドラマガイドの年表では16歳と記されています。

葉野酒造は実在する酒蔵ですか?

葉野酒造という名前はドラマの設定です。モデルは宇野俊次の実家である高森の造り酒屋と思われますが、2026年10月28日時点で公式の発表は確認できていません。

清治を演じているのは誰ですか?

渡部篤郎さんです。1968年生まれ、東京都出身。

初登場の乗馬シーンはリハーサルなしで本番一発OKだったと公式ドラマガイドに記されています。

清治はいつ亡くなりますか?

第2週「父からの、解放」(2026年10月5日〜9日放送)で亡くなります。舞台は大正2年です。

第3週で、珠は尋常小学校の代用教員になります。

図書館で借りた宇野千代の資料5冊の背表紙
図書館で借りて確認(2026年10月26日)

参考文献

葉野酒造のモデルについては、2026年10月28日の時点で公式の発表を確認できませんでした。発表があり次第、この記事に追記します。

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