2026年9月28日(月)から始まる朝ドラ『ブラッサム』。ヒロイン・葉野珠(はの・たま)には、実在のモデルがいます。
モデルは、山口県岩国出身の作家・宇野千代(うの・ちよ)です。1897年に生まれ、1996年に98歳で亡くなりました。
この記事では、宇野千代がどんな人だったのかを、岩国市・山口県・NHKなどの公式情報をもとに、放送前に整理しました。
- 宇野千代はどんな人?(ひと言でいうと)
- 98年の生涯を年表で整理
- 3度の結婚と、雑誌『スタイル』・着物・桜
- ドラマのヒロイン設定と、実際の宇野千代の共通点
- 宇野千代生家の場所・入館料・アクセス
- 登場人物と実在のモデルの対応(公式ドラマガイドで確認)
※2026年9月30日時点の情報です。公式ドラマガイド(Part1)で確認できたことを追記しました。
朝ドラ『ブラッサム』の実在モデルは作家・宇野千代
結論:『ブラッサム』のヒロイン・葉野珠の実在モデルは、作家・宇野千代です。
ただしNHKは、宇野千代の人生をフィクションとして再構成した物語だと説明しています。
つまり、ドラマの登場人物の名前や出来事は、実際の宇野千代とそのまま同じとは限りません。「宇野千代の生き方を下敷きにした、別の物語」と考えておくと、放送をより楽しめます。
| 名前 | 宇野千代(うの・ちよ) |
| 生まれ | 1897年(明治30年)11月28日 |
| 出身 | 山口県玖珂郡横山村(現在の岩国市川西) |
| 亡くなった年 | 1996年(平成8年)6月10日・98歳 |
| 職業 | 作家、雑誌の編集・発行、着物デザイナー、実業家 |
| 代表作 | 『おはん』『色ざんげ』『生きて行く私』など |
| 主な受賞 | 野間文芸賞(『おはん』)、菊池寛賞、芸術院賞 など |
| ドラマでの役 | ヒロイン・葉野珠のモデル(演:石橋静河) |
宇野千代はどんな人?ひと言でいうと「書いて、装って、立ち上がる人」
宇野千代は、小説を書くだけでなく、雑誌をつくり、着物をデザインし、会社まで起こした人です。
肩書きを並べると、次のようになります。
- 作家:1921年に懸賞小説で一等に選ばれてデビュー
- 雑誌の発行人:1936年に女性ファッション誌『スタイル』を創刊
- 着物デザイナー:1949年に「宇野千代きもの研究所」を設立
- 実業家:1967年に株式会社宇野千代を設立
一方で、その人生は順風満帆ではありませんでした。結婚と離婚をくり返し、会社の倒産で大きな借金も背負っています。
それでも筆を止めず、80代で書いた自伝『生きて行く私』はベストセラーになりました。何度つまずいても、また前を向いて進む。
これが、宇野千代という人を表すいちばんの特徴だと考えられます。
NHKが発表した『ブラッサム』の紹介でも、ヒロインが結婚・離婚や倒産・借金などの困難に向き合いながら、作家として「花を咲かせていく」物語だと説明されています。
宇野千代の98年の生涯を年表で整理
宇野千代の人生は、岩国での少女時代、上京と作家デビュー、雑誌と着物の時代、そして晩年の大きく4つに分けられます。
まずは0歳から98歳までを、年齢つきの年表で通して見てみましょう。
| 年 | 年齢 | できごと |
|---|---|---|
| 1897年(明治30) | 0歳 | 山口県玖珂郡横山村(現・岩国市川西)に生まれる |
| 1899年(明治32) | 2歳 | 生母・トモが死去。翌年、父・俊次が再婚し、17歳で嫁いだ継母・リュウに育てられる |
| 1910年(明治43) | 13歳 | 岩国高等女学校に進学 |
| 1911年(明治44) | 14歳 | いとこの藤村亮一に嫁ぐが、10日ほどで実家に戻る |
| 1913年(大正2) | 16歳 | 父・俊次が逝去 |
| 1914年(大正3) | 17歳 | 女学校を卒業し、小学校の代用教員になる。仲間と同人誌『海鳥』を発行し、雑誌『女子文壇』にも投稿する |
| 1915年(大正4) | 18歳 | 同僚の教員との恋がもとで教職を追われ、京城(現・ソウル)へ渡る |
| 1916年(大正5) | 19歳 | 日本へ戻り、いとこの藤村忠(亮一の弟)を頼って京都へ |
| 1917年(大正6) | 20歳 | 忠の進学に伴い上京。『中央公論』主幹の滝田樗陰、芥川龍之介、菊池寛、今東光らと知り合う |
| 1919年(大正8) | 22歳 | 藤村忠と結婚。翌年、忠の就職先である札幌へ移る |
| 1921年(大正10) | 24歳 | 『脂粉の顔』が時事新報の懸賞短編小説で一等に選ばれる |
| 1922年(大正11) | 25歳 | 『中央公論』に『墓を発く』を発表。尾崎士郎と出会う |
| 1923年(大正12) | 26歳 | 尾崎士郎と東京・馬込村に移り住む |
| 1924年(大正13) | 27歳 | 藤村忠との離婚が成立する |
| 1926年(大正15) | 29歳 | 尾崎士郎と結婚する |
| 1927年(昭和2) | 30歳 | 川端康成に誘われ伊豆・湯ヶ島に逗留。梶井基次郎、三好達治らと知り合う |
| 1929年(昭和4) | 32歳 | 心中未遂事件を起こした画家・東郷青児を取材に訪ね、知り合う |
| 1930年(昭和5) | 33歳 | 東郷青児と暮らし始め、尾崎士郎と離婚。翌年、東京・淡島に西洋風の家を新築する |
| 1934年(昭和9) | 37歳 | 東郷青児と別れる。翌年『色ざんげ』を刊行 |
| 1936年(昭和11) | 39歳 | スタイル社を創設し、雑誌『スタイル』を創刊する |
| 1939年(昭和14) | 42歳 | 作家・北原武夫と結婚し、東京・小石川へ移る。翌年、文芸誌『文體』を創刊 |
| 1942年(昭和17) | 45歳 | 美術評論家の青山二郎、文芸評論家の小林秀雄と出会う。『人形師天狗屋久吉』の取材を始める |
| 1944年(昭和19) | 47歳 | 戦況の悪化で『スタイル』が休刊。熱海へ疎開する |
| 1946年(昭和21) | 49歳 | 『スタイル』を復刊する |
| 1947年(昭和22) | 50歳 | 『文體』を季刊誌として復刊。『おはん』の連載を始める |
| 1949年(昭和24) | 52歳 | 「宇野千代きもの研究所」を設立する |
| 1952年(昭和27) | 55歳 | スタイル社の脱税が発覚し、経営が苦しくなる |
| 1957年(昭和32) | 60歳 | 『おはん』を刊行し、第9回女流文学者賞。翌年、第10回野間文芸賞を受賞 |
| 1959年(昭和34) | 62歳 | 多額の債務を負い、スタイル社が倒産する |
| 1964年(昭和39) | 67歳 | 北原武夫と離婚する |
| 1967年(昭和42) | 70歳 | 株式会社宇野千代を設立する |
| 1970年(昭和45) | 73歳 | 岐阜県根尾村へ「淡墨ザクラ」を見に行く |
| 1974年(昭和49) | 77歳 | 岩国の生家を自らの手で修復する |
| 1975年(昭和50) | 78歳 | 『薄墨の桜』を刊行する |
| 1982年(昭和57) | 85歳 | 毎日新聞で自伝『生きて行く私』の連載が始まる。菊池寛賞を受賞 |
| 1983年(昭和58) | 86歳 | 『生きて行く私』を刊行。100万部を超えるベストセラーになる |
| 1990年(平成2) | 93歳 | 岩国市名誉市民に選ばれ、文化功労者となる |
| 1995年(平成7) | 98歳 | 『私何だか死なないような気がするんですよ』を刊行(生前最後の著書) |
| 1996年(平成8) | 98歳 | 6月10日、急性肺炎のため都内で死去。故郷・岩国の寺に埋葬される |
資料によって年が食い違うところもあります。気づいたものを正直に書いておきます。
尾崎士郎との結婚は、公式ドラマガイドの年表では1926年(29歳)ですが、山口県の観光公式サイトでは1924年とされています。
淡墨桜を初めて訪ねた年も、公式ドラマガイドは1970年(73歳)、岐阜県本巣市の記録は1967年4月11日と食い違います。
この記事では、どちらか一方に決めず、出典ごとに年を示すようにしています。
岩国での少女時代(1897〜1916年)
宇野千代は、岩国の造り酒屋の家に生まれました。生母は千代が2歳のときに亡くなり、その後は父と、17歳で後妻に入った継母に育てられています。
山口県の観光公式サイトによると、父は定職に就かず、道楽を好んだ人でした。継母とのあいだには弟4人と妹1人が生まれ、千代はにぎやかな大家族の中で育ちました。
女学校時代の成績はとても優秀で、全15教科の平均が92点だったと紹介されています。卒業後は小学校の代用教員になりますが、恋愛をめぐる出来事がもとで、翌年に職を離れています。
ドラマでは、ヒロインの父親役を渡部篤郎さん、母親役を国仲涼子さんが演じると発表されています。
厳しい父と継母との関係が、ドラマでどう描かれるのかも見どころのひとつです。
14歳での最初の結婚と、教職を追われた18歳
公式ドラマガイドの年表によると、宇野千代は14歳でいとこの藤村亮一に嫁いでいます。ただし10日ほどで実家に戻りました。
16歳で父・俊次が亡くなり、17歳で女学校を卒業。小学校の代用教員になります。
この時期、仲間と同人誌『海鳥』を発行し、雑誌『女子文壇』にも投稿していました。書くことへの情熱は、すでに岩国で始まっていたことが分かります。
18歳のとき、同僚の教員との恋がうわさになり、教職を追われます。行き先は京城(現在のソウル)でした。
翌年、その恋人から別れの手紙を受け取り、日本へ帰国。いとこの藤村忠を頼って京都へ移ります。
出典:NHK出版『連続テレビ小説 ブラッサム Part1』(NHKドラマ・ガイド)(2026年9月30日確認)
上京と作家デビュー(1917〜1923年)
1917年、いとこの藤村忠の進学に合わせて上京しました。東京ではレストランの給仕として働いた時期もあります。
この上京で、『中央公論』主幹の滝田樗陰、芥川龍之介、菊池寛、今東光といった文壇の人たちと知り合いました。
転機は1921年です。短編『脂粉の顔』が「時事新報」の懸賞小説で一等に選ばれ、作家としての道が開けました。
翌1922年、『中央公論』に『墓を発く』が掲載されて作家デビュー。同じ年の暮れに、作家・尾崎士郎と出会います。
馬込文士村での日々
1923年、宇野千代は尾崎士郎と東京・馬込村で暮らし始めます。当時の馬込には、川端康成や広津和郎をはじめ多くの作家が住んでいました。
のちに「馬込文士村」と呼ばれるこの土地で、宇野千代の文学仲間は一気に広がります。
1927年には川端康成に誘われて伊豆・湯ヶ島に逗留し、梶井基次郎や三好達治とも知り合いました。
出典:NHK出版『連続テレビ小説 ブラッサム Part1』(NHKドラマ・ガイド)(2026年9月30日確認)
3度の結婚と雑誌『スタイル』(1919〜1964年)
宇野千代は生涯で3度結婚し、3度離婚しています。相手と時期は、次のとおりです。
| 相手 | 結婚 | 離婚 |
|---|---|---|
| 藤村忠 | 1919年 | 1924年 |
| 尾崎士郎(作家) | 1924年 | 1930年 |
| 北原武夫(作家) | 1939年 | 1964年 |
このほか、1931年からは画家・東郷青児と一緒に暮らしていたことも知られています。
この同棲も数えて「4度の結婚」と紹介されることがありますが、公式の資料で結婚とされているのは上の3回です。
宇野千代自身が、こうした恋愛や結婚をのちの作品や自伝の中で書き残しています。
北原武夫とはどんな関係?
北原武夫は、宇野千代の3人目の夫で、雑誌『スタイル』を一緒に切り盛りした仕事の相棒でもありました。
山口県の観光公式サイトによると、二人は1939年4月1日に帝国ホテルで式を挙げました。このとき宇野千代は42歳、北原武夫は32歳です。
戦後の1946年に『スタイル』を復刊したときは、北原武夫が社長、宇野千代が副社長を務めています。
1964年に離婚するまで、結婚生活はおよそ25年。3度の結婚の中で、いちばん長く続いた結婚でした。
東郷青児との4年間と『色ざんげ』
3度の結婚のあいだに、画家・東郷青児と暮らした4年ほどの時期があります。これが「4度の結婚」と紹介されることがある理由です。
公式ドラマガイドの年表によると、出会いは1929年。心中未遂事件を起こした東郷青児を、宇野千代が取材に訪ねたのがきっかけでした。
翌1930年から一緒に暮らし始め、同じ年に尾崎士郎と離婚。1931年には東京・淡島に西洋風の家を新築しています。
1934年ごろに二人は別れますが、宇野千代は東郷から聞いた心中未遂の話を小説に書き上げました。それが翌年刊行の『色ざんげ』です。
自分の恋愛をそのまま作品にしてしまうところが、宇野千代という作家のいちばんの特徴かもしれません。
雑誌『スタイル』の創刊から倒産まで
1936年、宇野千代は女性ファッション誌『スタイル』を創刊。山口県の観光公式サイトでは「日本初の女性ファッション誌」と紹介されています。
戦後に復刊しましたが、1952年ごろから経営が苦しくなり、1957年に会社更生法の適用を受け、1959年に倒産。
負債は8千数百万円にのぼったと紹介されています。
『おはん』と着物(1949〜1967年)
会社が苦しい時期にも、作家としての仕事は実を結びます。1957年、代表作『おはん』で野間文芸賞を受賞しました。
岩国市の観光サイトでも、『おはん』は宇野千代の文学の到達点と紹介されています。
着物の分野では、1949年に「宇野千代きもの研究所」を設立。『スタイル』の臨時増刊として『きもの読本』も出しています。
宇野千代顕彰会によると、1957年には渡米し、シアトルの国際見本市にデザインした着物を出品しました。
戦後は、夫の北原武夫とともに文芸誌『文體』も手がけました。1940年に創刊し、1947年に季刊誌として復刊しています。
1942年には美術評論家の青山二郎、文芸評論家の小林秀雄と出会い、『人形師天狗屋久吉』を書くための取材を始めました。
この『人形師天狗屋久吉』は、徳島の人形師を訪ねて生まれた作品です。16歳から86歳まで仕事を続けた職人の姿が描かれています。
代表作『おはん』は、連載開始が1947年、刊行が1957年。10年の歳月をかけて完成させた作品でした。
1967年には株式会社宇野千代を立ち上げています。
淡墨桜と『生きて行く私』(1967〜1996年)
晩年の宇野千代を語るうえで欠かせないのが、岐阜県本巣市(旧・根尾村)の淡墨桜(うすずみざくら)です。
本巣市の記録によると、宇野千代は1967年4月11日に根尾村を訪れました。台風の被害などで弱っていた老桜の姿に心を動かされ、翌1968年、雑誌『太陽』4月号に文章を発表しています。
その年に岐阜県知事が桜を視察し、保護の取り組みが進みました。
1975年には、この老桜を題材にした小説『薄墨の桜』を刊行しています。枯れかけた桜がよみがえっていく物語です。
1982年には、自伝『生きて行く私』の毎日新聞での連載が始まりました。
翌1983年に刊行されると、100万部を超えるベストセラーになります。85歳を過ぎてからの大ヒットでした。
同じ1982年に菊池寛賞を受賞し、1990年には岩国市の名誉市民となり、文化功労者にも選ばれています。
90代になっても執筆は続き、1995年12月には『私何だか死なないような気がするんですよ』を出しています。
これが生前最後の著書となり、翌1996年6月10日、98歳で亡くなりました。
宇野千代の主な受賞・受章
デビューから晩年まで、宇野千代は文学と文化の両面で評価を受け続けました。宇野千代顕彰会がまとめている主な受賞・受章を整理します。
| 年 | 受賞・受章 |
|---|---|
| 1921年 | 「時事新報」懸賞小説 一等(『脂粉の顔』) |
| 1957年 | 第5回野間文芸賞(『おはん』) |
| 1958年 | 第9回女流文学者賞 |
| 1971年 | 第10回女流文学賞(『幸福』ほか) |
| 1972年 | 第28回芸術院賞 |
| 1974年 | 勲三等瑞宝章 |
| 1982年 | 第30回菊池寛賞 |
| 1990年 | 文化功労者/岩国市名誉市民 |
| 1996年 | 正四位 勲二等瑞宝章を追贈 |
宇野千代の代表作は『おはん』『色ざんげ』『生きて行く私』
ドラマの前に1冊読むなら、生涯そのものを知れる『生きて行く私』が入りやすいと考えられます。
公式サイトや顕彰会で代表作として挙げられている3作品を整理します。
| 作品 | 分かっていること |
|---|---|
| 『おはん』 | 1957年に中央公論社から刊行。第5回野間文芸賞を受賞 |
| 『色ざんげ』 | 宇野千代の代表作のひとつとして公式サイトで紹介 |
| 『生きて行く私』 | 1982〜1983年に新聞で連載された自伝。100万部を超えるベストセラーに |
図書館で借りて読む予定なので読み次第また追記します!
ドラマのヒロイン・葉野珠と宇野千代の共通点
NHKが発表したヒロインの設定は、宇野千代の若いころの経歴と多くの点で重なっています。公式発表の設定と、実際の宇野千代を並べてみます。
| 項目 | ドラマの葉野珠(公式発表) | 実際の宇野千代 |
|---|---|---|
| 生まれた年 | 明治30年(1897年) | 1897年 |
| 出身 | 山口県岩国 | 山口県岩国(現・岩国市川西) |
| 母のこと | 2歳で実母を亡くす | 2歳で生母を亡くす |
| 育った家 | 父と継母に育てられる | 父と継母に育てられる |
| 女学校のあと | 代用教員になるが解雇される | 代用教員になるが、翌年職を離れる |
| 作家への道 | 上京し、懸賞小説への応募から作家に | 上京後、懸賞小説で一等に選ばれてデビュー |
一方で、名前は「宇野千代」ではなく「葉野珠」です。
NHKは作品をフィクションとしてオリジナルに再構成したものと説明しているため、結婚相手や周りの人物の名前・出来事は、ドラマ独自の形で描かれる可能性があります。
「昭和57年の青山」が描かれる
NHKの番組ページによると、『ブラッサム』は明治41年の山口県岩国を描く「過去編」と、昭和57年の青山を描く「現代編」で構成されます。
昭和57年は1982年。実際の宇野千代にとっては、自伝『生きて行く私』の連載が始まり、菊池寛賞を受けた年です。
ドラマがこの年を選んだ理由は、公式には説明されていません。放送で、どんな場面として描かれるのかに注目です。
- 上京のいきさつは、ドラマでどう描かれる?
- 3度の結婚は、ドラマではどんな人物として登場する?
- 「昭和57年の青山」の珠は、どんな暮らしをしている?
このあたりは、放送が始まってから確かめたいポイントです。
『ブラッサム』の登場人物と実在のモデル一覧
公式ドラマガイドには、宇野千代のほかにも実在の人物をモデルにした登場人物が明記されています。名前は変えられていますが、誰がモデルなのかは誌面ではっきり書かれています。
| ドラマの人物・場所 | 実在のモデル | 演じる俳優 |
|---|---|---|
| 葉野珠(はの・たま) | 作家・宇野千代 | 石橋静河/80代は加賀まりこ |
| 西尾一路(にしお・いちろ) | 作家・尾崎士郎 | 染谷将太 |
| 土橋風子(どばし・ふうこ) | 作家・吉屋信子 | 尾野真千子 |
| 洋食店「悠樂軒(ゆうらくけん)」 | 燕楽軒(宇野千代が実際に働いた西洋料理店) | ― |
尾崎士郎は、宇野千代の2人目の夫です。ドラマガイドには、役作りの参考として宇野千代の『私の文学的回想記』(中央公論新社)が挙げられています。
吉屋信子は、大正から昭和にかけて少女小説で人気を集めた作家です。ドラマでは、少女小説『花手帖』の作者・土橋風子として登場します。
名前は似ていないけれど、史実と重なる人物・雑誌
ここからは、ドラマガイドに「モデル」と書かれているわけではありません。宇野千代の年譜と並べると重なって見える、という範囲の話として読んでください。
| ドラマ | 史実で重なる存在 |
|---|---|
| 文芸雑誌『首都公論』 | 『中央公論』(宇野千代が『墓を発く』を発表した雑誌) |
| 夫となるいとこ・木村保 | 藤村忠(宇野千代の最初の夫。いとこ) |
| 女学校の同人誌『黎明』 | 同人誌『海鳥』(宇野千代が仲間と発行) |
| 馬込村に集まる文士たち | 川端康成・広津和郎・萩原朔太郎ら、実際の馬込文士村の顔ぶれ |
作品名は変えられていないものもあります。『脂粉の顔』『墓を発く』『おはん』『生きて行く私』は、宇野千代の実際の作品名がそのまま出てきます。
タイトル「ブラッサム」と宇野千代をつなぐ「桜」
「ブラッサム(blossom)」は、英語で「花」や「花が咲くこと」を表す言葉です。NHKの紹介でも、ヒロインが作家として「花を咲かせていく」物語だと説明されています。
宇野千代と花といえば、先に紹介した淡墨桜です。宇野千代は1975年に『淡墨の桜』という本も出しています。
晩年の宇野千代にとって、桜は特別な存在だったと読み取れます。ただし、タイトルと淡墨桜の関係について、NHKから公式な説明は出ていません。
宇野千代生家はどこ?場所・入館料・アクセス
宇野千代生家は、山口県岩国市川西2丁目にあり、一般公開されています。入館料は高校生以上310円、火曜日は休館です。
1974年に宇野千代自身が、もとの姿に近い形で修復しました。庭には梅・桜・紅葉・苔が広がります。
| 住所 | 山口県岩国市川西2丁目9-35 |
| 開館時間 | 10:00〜16:00 |
| 休館日 | 火曜日、お盆(8月14〜16日)、年末年始 |
| 入館料 | 高校生以上310円/小・中学生100円 |
| アクセス | JR川西駅から徒歩約7分/錦帯橋から旧山陽道沿いに徒歩約20分 |
| 駐車場 | 2026年9月4日から臨時駐車場(30台)あり |
| 問い合わせ | 0827-43-1693 |
この生家は、明治時代の初めに建てられた町家(旧宇野千代家住宅主屋)で、国の登録有形文化財です。
公式ドラマガイドによると、ドラマに出てくる葉野家のセットは、この生家を参考に設計されました。訪ねるときは、そのつもりで間取りを見ると面白いはずです。
放送が始まると訪れる人が増えることが予想されるため、出かける前に、岩国市の観光サイトで最新の開館情報を確認しておくと安心です。
朝ドラ『ブラッサム』の放送情報
初回は2026年9月28日(月)、NHK総合で朝8時からです。
| 放送開始 | 2026年9月28日(月) |
| NHK総合 | 月〜土曜 午前8:00〜8:15 |
| BS | 月〜金曜 午前7:30〜7:45 |
| 主演 | 石橋静河(葉野珠役) |
| 作 | 櫻井剛、小松與志子 |
| 主題歌 | YOASOBI「咲き誇れ」 |
| 語り | 三條雅幸アナウンサー(NHK大阪放送局) |
| 出演 | 加賀まりこ、松たか子、国仲涼子、渡部篤郎、松本穂香、八嶋智人、工藤阿須加、染谷将太、遠藤憲一、井浦新、尾野真千子 ほか |
| 何作目 | 連続テレビ小説115作目 |
放送時間は変更されることがあります。最新の情報はNHKの番組ページで確認してください。
公式ドラマガイドで分かった『ブラッサム』の舞台と作り方
ドラマの舞台は、岩国から東京、札幌へと移り、そして再び東京へ戻ります。美術統括の掛幸善さんは、この移り変わりそのものを「生々流転」というコンセプトにしたと説明しています。
誌面でくり返し出てくるキーワードが「ゆがみ」です。人物デザイン監修のUDAさんの言葉が、美術全体の軸になったと書かれています。
葉野家のセットは、宇野千代の生家がモデル
岩国の葉野家のセットは、いま岩国市に残る宇野千代の生家を参考に設計されました。実際の生家よりひと回り小さく作り、居間のふすまを3枚に減らしているそうです。
父・清治が家族をいつでも見張れる、見通しのよい間取りにしてあります。珠の窮屈さを間取りで表す狙いです。
庭の桜は、幹に本物の木を使い、枝葉は造花を組み合わせています。花・緑・冬枯れの3つの形を用意して、季節ごとに入れ替えるそうです。
樹形はまっすぐではなく、あえて「ゆがんだ」形にしてあります。ふすまの柄にも、庭と呼応する桜が使われています。
珠の髪形は、住む土地ごとに変わる
珠の髪形とよそおいは、岩国・東京・札幌で描き分けられています。岩国では同級生より一回り大きく結い上げ、東京では女学生風から大正ロマン、そしてモガ(モダンガール)へと移ります。
札幌では、大正時代に流行した「耳隠し」という髪形になります。かつらの一部をわざと崩して、地毛のように見せているそうです。
父・清治のキーカラーはえんじ色で、珠のよそおいにもポイントとして使われています。
主題歌はYOASOBI、原作小説は綿矢りさ
主題歌を手がけたYOASOBIのAyaseさんは、山口県の出身です。宇野千代の自伝『生きて行く私』を読み、岩国市を訪ねたうえで曲を作ったとドラマガイドに書かれています。
YOASOBIは小説を音楽にするユニットです。主題歌のもとになった小説は、綿矢りささんの書き下ろしで、宇野千代の生命力を桜の木になぞらえて書かれました。
番組ロゴのコンセプトは「葉野珠がデザインしたロゴ」です。アートディレクターの矢後直規さんがボールペンで書いた線でできています。
80代の珠は加賀まりこ、秘書は松たか子
ドラマガイドには、80代になった葉野珠を加賀まりこさんが演じいます。その珠を支える秘書・藤川優子役が松たか子さんです。
加賀まりこさんは、宇野千代が原作のドラマ『おはん』に出た縁で、宇野千代本人に会ったことがあると語っています。
津川雅彦さんを通じて宇野千代から麻雀に誘われたものの、実現しなかったそうです。その心残りから、加賀さんの希望で『ブラッサム』に麻雀の場面が入ったと書かれています。
出典:NHK出版『連続テレビ小説 ブラッサム Part1』(NHKドラマ・ガイド)(2026年9月30日確認)
よくある質問
Q. 『ブラッサム』は実話ですか?
実話そのものではありません。作家・宇野千代をモデルにしていますが、NHKはフィクションとして再構成した物語だと説明しています。
Q. 宇野千代は何回結婚しましたか?
一般には3回とされています。藤村忠(1919年)、作家の尾崎士郎(1924年、公式ドラマガイドでは1926年)、作家の北原武夫(1939年)と結婚し、いずれも離婚しています。
このほか、14歳のときにいとこの藤村亮一に嫁いで10日ほどで戻った、という記録もあります(公式ドラマガイドの年表)。3度の結婚には数えられていません。
Q. 宇野千代は「4回結婚した」と聞きましたが本当ですか?
公式の資料で結婚とされているのは3回です。1931年からの画家・東郷青児との同棲も数えて、「4度の結婚」と紹介されることがあります。
Q. 北原武夫はどんな人ですか?
宇野千代の3人目の夫で、作家です。1939年に結婚し、戦後は雑誌『スタイル』の社長として宇野千代と会社を切り盛りしました。
1964年に離婚しています。
Q. 宇野千代は何歳まで生きましたか?
98歳です。1897年11月28日に生まれ、1996年6月10日に亡くなりました。
Q. 宇野千代は何が原因で亡くなりましたか?
山口県の観光公式サイトによると、急性肺炎です。1996年6月10日、東京の病院で98年の生涯を閉じました。
Q. 雑誌『スタイル』はどんな雑誌ですか?
1936年に宇野千代が創刊した、女性向けのファッション誌です。山口県の観光公式サイトでは「日本初の女性ファッション誌」と紹介されています。
発行していた会社は1959年に倒産しました。
Q. 宇野千代の生家はどこにありますか?
山口県岩国市川西2丁目9-35です。「宇野千代生家」として一般公開されています(火曜休館)。
Q. 『ブラッサム』の初回はいつですか?
2026年9月28日(月)です。NHK総合で午前8時から放送されます。
Q. 宇野千代は14歳で結婚したというのは本当ですか?
公式ドラマガイドの年表には、1911年(14歳)にいとこの藤村亮一に嫁いだと書かれています。ただし10日ほどで実家に戻りました。
Q. 東郷青児とはどんな関係だったのですか?
画家で、宇野千代が1930年から4年ほど一緒に暮らした相手です。1929年に心中未遂事件の取材で訪ねたのが出会いでした。
この時期のことをもとに書かれたのが小説『色ざんげ』です。
Q. 西尾一路のモデルは誰ですか?
作家の尾崎士郎です。公式ドラマガイドに「モチーフは作家・尾崎士郎」と明記されています。
尾崎士郎は、宇野千代の2人目の夫にあたる作家です。ドラマでは染谷将太さんが演じます。
Q. 土橋風子のモデルは誰ですか?
作家の吉屋信子です。公式ドラマガイドに明記されています。
ドラマでは少女小説『花手帖』の作者として登場し、尾野真千子さんが演じます。
Q. 晩年の葉野珠は誰が演じますか?
加賀まりこさんです。80代の珠を演じ、秘書・藤川優子役の松たか子さんと共演します。
Q. 『ブラッサム』の舞台はどこですか?
山口県岩国、東京、札幌です。公式ドラマガイドによると、岩国から東京、札幌へ移り、そのあと再び東京に戻ります。
まとめ:『ブラッサム』は宇野千代の「生きる力」を描く朝ドラ
- ヒロイン・葉野珠のモデルは、岩国出身の作家・宇野千代(1897〜1996)
- 作家、雑誌『スタイル』の創刊、着物デザイン、会社経営と、幅広く活躍
- 3度の結婚と離婚、会社の倒産を経ても、80代で自伝がベストセラーに
- ドラマはフィクションとして再構成。若いころの設定は宇野千代と多くの点で重なる
- 宇野千代生家は岩国市川西で公開中(火曜休館・高校生以上310円)
- 初回は2026年9月28日(月)朝8時、NHK総合
- 西尾一路のモデルは尾崎士郎、土橋風子のモデルは吉屋信子(公式ドラマガイドに明記)
- 舞台は岩国→東京→札幌→再び東京。葉野家のセットは宇野千代の生家がモデル
放送が始まったら、ドラマと史実の違いも追記していきます。
参考にした情報(2026年9月22日・9月30日確認)
- NHK『ブラッサム』番組ページ
- ステラnet『ブラッサム』発表記事
- ステラnet 連続テレビ小説「ブラッサム」
- 山口県観光サイト「おいでませ山口へ」作家・宇野千代とは?
- 岩国市観光振興課「宇野千代生家」
- 本巣市「淡墨桜 再生保護」
- 宇野千代顕彰会「宇野千代の功績」
- 宇野千代 公式ホームページ
- NHK出版『連続テレビ小説 ブラッサム Part1』(NHKドラマ・ガイド)※2026年9月30日確認
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