『ブラッサム』を観ていて、葉野リョウ(国仲涼子)は珠の実の母なのか、気になった方は多いはずです。
珠を「珠さま」と呼ぶ距離感が、どうも普通の母娘とは違って見える。
では、モデルとなった宇野千代の実の母はどんな人で、どんな病気で亡くなったのか。
こういった疑問を持っている方も多いのではないでしょうか。
この記事では、公式ドラマガイドと、『ブラッサム』の時代・風俗考証を担当した研究者の著書をもとに、分かっていることと分かっていないことを切り分けて整理します。
ブラッサム葉野リョウ(国仲涼子)は珠の継母

結論から書きます。葉野リョウ(国仲涼子)は、葉野珠の実の母ではなく継母です。
公式ドラマガイドの人物紹介に、リョウは珠の父・清治の後妻であり、血のつながらない珠を長子として育てる立場だと記されています。
(出典:NHK出版『連続テレビ小説 ブラッサム Part1』/2026年9月30日確認)
(参照:リアルサウンド・朝ドラ『ブラッサム』新キャスト発表)
つまり、第1週で床に臥せっていたあの母は、珠を産んだ人ではありません。
珠の設定そのものにも、2歳で実母と死別し、父と継母に育てられたと書かれています。
ここを押さえておくと、リョウと珠のあいだにある独特の間合いが、急に意味を持って見えてきます。
相関図のなかでのリョウの位置
公式ドラマガイドの相関図を見ると、リョウは清治と二重線(夫婦)で結ばれています。
そしてリョウから下に伸びるのが、守(日向亘)・英男(藤原大祐)・俊子(伊東蒼)の3人です。
一方で珠は、清治の子でありながらリョウが産んだ子ではない、という位置に置かれています。
もう一本、見落としやすい線があります。叔母・木村照子(山田真歩)です。
照子は珠の実母の妹と紹介されています。亡くなった実母の家族が、物語のなかにまだ生きて残っているわけです。
珠の縁談を持ちかけるのも、のちに東京で暮らす段取りをつけるのも、この照子でした。
実母を失った珠のまわりには、継母と、実母の妹という二つの母方の線が同時に伸びている。この構図自体が、かなり丁寧に設計されています。
国仲涼子は『ちゅらさん』から約25年
リョウを演じる国仲涼子さんは1979年生まれ、沖縄県出身です。
朝ドラの主演といえば『ちゅらさん』の古波蔵恵里役。公式ドラマガイドには、あの恵里役から約25年と記されています。
(出典:NHK出版『連続テレビ小説 ブラッサム Part1』/2026年9月30日確認)
かつて朝ドラのヒロインとして「見送られる側」だった人が、今回は岩国の駅で珠を見送る母を演じている。
第4週では、リョウが自分の着ていた着物を信玄袋に作り直して珠に渡す場面があります。
言葉で愛情を言わない人の、いちばん分かりやすい手の動きだと思います。
主演・石橋静河さんも、印象的な場面として第19回の「岩国を去る珠の背中を母が押す」場面を挙げています。
史実の継母はリュウ|17歳で宇野家に嫁いだ

モデルとなった宇野千代の継母は、リュウという名前の女性です。そして嫁いできたとき、わずか17歳でした。
公式ドラマガイド巻末の年譜に、千代が2歳で生母を失った翌年に父が再婚し、17歳で嫁いだ継母・リュウに育てられたと記されています。
(出典:NHK出版『連続テレビ小説 ブラッサム Part1』/2026年9月30日確認)
(参照:PRESIDENT WOMAN Online・宇野千代の父と継母リュウ)
再婚の年は、刑部芳則氏の著書では明治33年(1900年)とされ、相手の名は佐伯リュウと記録されています。
このとき千代は3歳。単純に差を取れば、継母と千代は14歳ほどしか違わないことになります。
なお、千代と「12歳しか違わない」とする説明もあり、年齢差は資料によって一致していません。
17歳といえば、ドラマで珠が女学校を出て代用教員になった年齢とほぼ同じです。
その年齢で、すでに母を亡くした3歳の子を抱えた家に入っていく。想像するだけで、かなり重い立場だったはずです。
父は俊次|ドラマの清治と重なる人物像
リュウが嫁いだ相手、つまり千代の父の実名は俊次です。
公式ドラマガイドの年譜には、俊次について「気性が激しく厳格」で、生涯にわたり千代に影響を与えた人物だと書かれています。
ドラマの父・葉野清治(渡部篤郎)も、商店街で馬を走らせ、料理屋で暴れ、娘の前で激しさを見せる人物として描かれています。
ここまで重なると、清治は俊次を踏まえた人物と思われます。
ただし注意が必要です。公式ドラマガイドに「清治のモデルは俊次」と明記された箇所は、確認できていません。
同じ理由で、ドラマの「リョウ」と史実の「リュウ」が同一人物だと公式に説明された記述も見つかっていません。
名前の一文字だけをずらすのは『ブラッサム』でくり返されている手法ですが、そこから先は読者それぞれの読み取りになります。
継母リュウがもうけたのは四男一女
継母リュウは、その後四男一女をもうけています。
公式ドラマガイドの年譜にも「継母はその後四男一女をもうける」とあり、人数の点では両方の資料が一致しています。
刑部芳則氏の著書の年表では、その5人の名が薫・鴻・勝子・光雄・文雄と記されています。
(出典:刑部芳則『宇野千代 昭和モダニズムの伝道者』/2026年10月22日確認)
千代を含めると、宇野家の子どもは6人。17歳で嫁いだ女性が育てた家の規模が、この数字で見えてきます。
同書の年表には、弟たちのその後も記録されています。光雄は戦時中に陸軍報道班員として徴用され、鴻は1945年9月に病死しました。
千代の98年という長い生涯の後ろ側に、こうした家族の時間も流れていたことになります。
なお、この家族が暮らした家は現在も岩国市川西に残っています。明治時代初期に建てられた町家で、国の登録有形文化財です。
千代自身の手で1974年に修復されたもので、一般公開されています。ドラマの葉野家のセットも、この生家を参考に設計されました。
(出典:NHK出版『連続テレビ小説 ブラッサム Part1』/2026年9月30日確認)
(参照:おいでませ山口へ・宇野千代生家)
宇野千代の実母トモの病気は肺結核だった

宇野千代の実母の名はトモ。そして死因は肺結核と記録されています。
この病名の記載は、『ブラッサム』の時代・風俗考証を担当した刑部芳則氏の著書で確認できました。
(出典:刑部芳則『宇野千代 昭和モダニズムの伝道者』/2026年10月22日確認)
千代の自伝『生きて行く私』にも、当時の呼び名である「肺病」と書かれています。
(参照:PRESIDENT WOMAN Online・宇野千代が綴った実母トモ)
なお、ここで書いているのは史実の記録だけです。病気そのものの説明や対処については触れません。
死別は明治32年|千代が2歳のとき
トモが亡くなったのは明治32年(1899年)、千代が2歳のときです。
ただし「1歳半のとき」と書く資料もあり、年齢の表記は分かれています。この記事では公式ドラマガイドの表記に合わせて2歳としています。
(参照:PRESIDENT WOMAN Online・宇野千代の生い立ち)
千代が生まれたのは明治30年(1897年)11月28日、山口県玖珂郡横山村(現在の岩国市川西)。宇野俊次とトモの長女でした。
つまりトモと千代が一緒に過ごせた時間は、長くても2年ほどしかありません。
千代に母の記憶はなく、当時の様子は人から聞いた逸話として知っていたと伝えられています。
ドラマの珠も、まったく同じ条件を与えられています。公式ドラマガイドの珠の設定に「2歳で実母と死別」と明記されているからです。
生年も明治30年、生まれた土地も岩国。ここは史実とぴったり重なっています。
当時の肺結核という時代背景
千代の生涯は、明治・大正・昭和・平成の4時代にまたがります。
トモが亡くなった1899年は、そのいちばん最初、明治のなかばです。
この時代、結核は長く日本の大きな健康問題として扱われてきた病でした。幼い子を残して亡くなる例も珍しくありません。
興味深いのは、千代自身の最期です。1996年6月10日、急性肺炎のため98歳で亡くなっています。
母は2歳の娘を残して肺の病で世を去り、娘は98年生きて肺の病で世を去った。偶然ですが、長い年表を並べて初めて見える並びです。
宇野千代の生涯そのものについては、こちらの記事にまとめています。
朝ドラ『ブラッサム』の実在モデルは作家・宇野千代|98年の生涯と3度の結婚、ドラマとの共通点
資料によって書かれ方が違う理由
宇野千代の家族について調べていくと、資料ごとに年や細部が食い違っていることに気づきます。
その理由を、考証担当の刑部芳則氏自身が著書のあとがきで説明しています。
千代の私小説は読み物として面白く書かれているため、実際の出来事とは大きく異なっている、というのが要旨です。
年が一年ずれていたり、時系列が逆転していたりする。そのうえで、同書は可能な限り事実の視点から書いたとされています。
(出典:刑部芳則『宇野千代 昭和モダニズムの伝道者』/2026年10月22日確認)
千代の自伝『生きて行く私』は100万部を超えるベストセラーになりました。多くの人が読んだ本であるぶん、自伝の記述がそのまま事実として広まった面もあります。
だからこそ、母親のような家族の情報は、考証担当者が年表として整理したものを優先して読むほうが確かだと考えています。
ドラマのきょうだいは3人|史実との違い

ドラマで珠のきょうだいとして登場するのは3人です。史実では継母が四男一女をもうけているので、人数が合いません。
これは誤りではなく、朝ドラ15分という尺に合わせた整理だと考えられます。
| 項目 | ドラマ『ブラッサム』 | 史実(刑部本の年表) |
|---|---|---|
| 実母 | 名は確認できず・2歳で死別 | トモ・肺結核で死去 |
| 継母 | 葉野リョウ(国仲涼子) | リュウ・17歳で嫁ぐ |
| 父 | 葉野清治(渡部篤郎) | 宇野俊次 |
| きょうだい | 守・英男・俊子の3人 | 四男一女の5人 |
(出典:NHK出版『連続テレビ小説 ブラッサム Part1』/刑部芳則『宇野千代 昭和モダニズムの伝道者』/2026年10月22日確認)
守・英男・俊子を演じる3人
ドラマの3人の配役は、次のとおりです。
- 上の弟・葉野守/日向亘(2004年生・群馬県)
- 下の弟・葉野英男/藤原大祐(2003年生・東京都)
- 妹・葉野俊子/伊東蒼(2005年生・大阪府)
(参照:ORICON NEWS・ブラッサム キャスト・登場人物)
第1週の時点では、珠は10歳、守は6歳、俊子は1歳という年齢差で描かれています。
10歳の珠が1歳の妹を背負い、6歳の弟の手を引く。あの場面が成立する理由も、この年齢設定にあります。
継母が産後で動けないあいだ、家のなかで子どもたちを見ていたのは珠だった、という構図です。
登場人物と実在モデルの対応は、一覧記事のほうで整理しています。
ブラッサムの実在モデル一覧!西尾一路は尾崎士郎・土橋風子は吉屋信子
リョウが珠を「珠さま」と呼ぶ理由は公式に説明なし
リョウが珠を「珠さま」と呼ぶことは、公式ドラマガイドに記されている事実です。
ただし、なぜそう呼ぶのかという理由については、公式には説明されていません。
(出典:NHK出版『連続テレビ小説 ブラッサム Part1』/2026年9月30日確認)
(参照:秋田魁新報・『ブラッサム』第1週あらすじ)
ここで「継母だから遠慮しているのです」と言い切ってしまうのは簡単ですが、それは私の推測にすぎません。
この記事では、分かっていないことは分かっていないと書いておきます。
そのうえで、資料から言えることだけを並べると、次のようになります。
- リョウは珠の継母であり、血のつながりがない
- 葉野家は岩国有数の造り酒屋で、清治はその分家にあたる
- 珠は血のつながらない長子として育てられている
- 史実の継母も、嫁いだ時点でわずか17歳だった
この4点を並べたうえで、第4週の信玄袋や第18回の背中を押す場面をどう受け取るか。そこは観る人に委ねられている部分だと思います。
なお「珠さま」という呼び方は、叔母・木村照子(山田真歩)をめぐっても話題になっています。この点は別記事で改めて扱う予定です。
まだ公式に発表されていないこと
この記事を書くために資料を当たりましたが、裏が取れなかった項目もあります。正直に並べておきます。
第一に、ドラマのなかで珠の実母の名前が何だったのか。公式ドラマガイドの相関図や人物紹介に、実母の名の記載は確認できませんでした。
第二に、ドラマで実母がどんな病で亡くなった設定なのか。これも記載を確認できていません。
つまり「肺結核」はあくまで史実側の記録であり、ドラマの設定として発表されたものではありません。
第三に、リョウのモデルが史実のリュウだという公式発表も見つかっていません。
公式ドラマガイドでモデルが明記されているのは、葉野珠(宇野千代)、西尾一路(尾崎士郎)、土橋風子(吉屋信子)、悠樂軒(燕楽軒)の4組です。
家族については、そこまで踏み込んだ明記がありません。放送や今後の公式発表で分かり次第、この記事に追記します。
この記事の根拠
この記事は、公式ドラマガイドと、考証担当者の著書という2つの一次資料に近い情報をもとに書いています。
とくに実母トモの死因については、図書館で実際に本を借りて年表を確認しました。

参考にした情報
- NHK出版『連続テレビ小説 ブラッサム Part1』(NHKドラマ・ガイド)/2026年9月30日確認
- 刑部芳則『宇野千代 昭和モダニズムの伝道者』(NHK出版新書)※著者は『ブラッサム』の時代・風俗考証担当/2026年10月22日確認、2026年10月26日に図書館で借りて再確認
- NHK 連続テレビ小説『ブラッサム』番組公式サイト(http://nhk.jp/blossom/)/2026年10月28日確認
(参照:国立国会図書館サーチ・宇野千代 昭和モダニズムの伝道者)
公式ドラマガイドの誌面写真や、出演者の写真はこの記事に掲載していません。権利者の著作物にあたるためです。
よくある質問
葉野リョウは珠の実の母ですか?
いいえ、継母です。公式ドラマガイドに、清治の後妻として、血のつながらない珠を長子として育てる立場だと記されています。
宇野千代の実の母の名前は何ですか?
トモです。千代は宇野俊次とトモの長女として、明治30年(1897年)11月28日に岩国で生まれました。
実母トモの病気は何だったのですか?
肺結核と記録されています。『ブラッサム』の時代・風俗考証を担当した刑部芳則氏の著書の年表に記載があり、2026年10月22日に確認しました。
千代は何歳で実母を亡くしたのですか?
公式ドラマガイドでは2歳、1歳半と書く資料もあります。明治32年(1899年)のことで、翌年に父・俊次が再婚しています。
継母リュウは何歳で嫁いできたのですか?
17歳です。公式ドラマガイドの年譜に「17歳で嫁いだ継母・リュウ」と記されています。
リョウが珠を「珠さま」と呼ぶ理由は?
公式には発表されていません。呼び方そのものは公式ドラマガイドに記載がありますが、理由の説明は確認できていません。
ドラマのきょうだいは史実と同じ人数ですか?
違います。ドラマは守・英男・俊子の3人ですが、史実では継母リュウが四男一女をもうけたと記録されています。
まいこの視点
珠とリョウの関係を見ていて、どう感じましたか?
私は、血のつながりがなくても、二人の間には本当の親子のような深い愛情があると感じました。
珠の幸せを願い、寂しさをこらえて東京行きを後押しするリョウの姿が印象的です。二人の絆に思わず胸が熱くなりました。
まとめ
葉野リョウ(国仲涼子)は珠の継母で、史実の継母はリュウ。そして実母トモは、千代が2歳のときに肺結核で亡くなっていました。
- リョウは継母。珠とは血のつながりがない
- 実母はトモ。明治32年、千代が2歳(1歳半とする資料もあり)のときに死去
- 死因は肺結核(考証担当者の著書に記載)
- 継母リュウは17歳で嫁ぎ、のちに四男一女をもうけた
- ドラマのきょうだいは3人で、史実より少ない
- 「珠さま」と呼ぶ理由は公式には説明されていない
家族の設定を押さえてから観直すと、岩国編の静かな場面の意味が変わってきます。
第1週や第4週をもう一度観たい方は、ブラッサムの見逃し配信をまとめた記事も参考にしてください。

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